平成十六年六月十二日早朝。父、冨永純次は静かに息を引き取りました。
一ヶ月ほど経ったある日、父の大学時代の同級生の方々が主催してくださった「冨永純次を偲ぶ会」に招待されました。
父がとてもまじめに授業に出ていたこと、白井晟一を崇拝していたこと、よく不真面目な友達を叱っていたこと、父の口からは最期まで聞くことのなかった大学時代の思い出話やエピソードをみなさんから聞くことが出来て、有意義な時間を過ごさせていただきました。
大学を卒業後は友人とともに会社を共同主催し、そのときの最初の仕事で母と出会ったそうです。その後、独立し二十二年間代表取締役として自身の会社を継続してきました。インテリアデザインを主軸にデザイン業務に尽力し、その傍らではライフワークとして椅子の制作にエネルギーを注いでいました。その中の一つは商品化までこぎ着けました。
デザイン業務の方では後半の十年は、なかなか一般のデザイナーでは関わることのない医療空間の内装設計に携わり、数々の医療施設を手がけていました。手がけた施設を見て依頼してくるお客さんもいて、本人も手応えを感じていたようです。
父親としては、とても厳しく怖かった事を覚えています。叩かれることも何度もありました。それでも一緒に展示会や映画に行ったり、キャッチボールをしてくれたりと父子というよりは友達に近いつきあい方をしていたように思います。最近では私も成人し、なかなかそういったつきあい方が出来なくなっていましたが、それでも時折見せる無邪気な笑顔に安心感を抱いていました。
私は父を、デザイナーとしても父親としても人間としても尊敬しています。それはこれからも変わりません。 |