「大学院設立にさいして 」
2001年の暮れから始まった学部卒業後新教育機関検討委員会の座長を勤めた私は、2002年10月に当時の理事会からの検討事項であった専攻科設置にかわり、大学院の設置を中間答申した時を出発として、数多くの学生、教職員からの熱望であった大学院設置にむけて船を漕ぎ出すこととなりました。はじめの専攻科設置検討の主旨が、1992年に18歳人口増により一旦承認された臨時入学定員増が小子化に共ない増分定員の半減を余儀なくされた大学の新たな財源確保と、高度化する教育環境へ向けての整備の一貫であったが、大学院設置における教員資格審査の難しさや申請書類作成の大変さを回避する目的も一方にあった事は否めなかったが、大学院設置へむけて走り出した準備委員会のメンバーとして、各地の大学院をたずね設置準備の苦労話を聞き、申請書類の書き方から教えを乞いながら、本当に手探りで申請準備を始めることとなりました。膨大な資料を読み、設置趣旨や教育課程について議論をかわし検討を重ね、終電にまでおよぶ会議は20数回を重ねたが、外部の専門機関等の誰の手に頼ることなく我々自身の手で完成させた申請書類を今年6月、文部科学省へ提出するに至りました。そして、12月18日第1回大学院入学試験(A日程−デザイン専攻のみ)が行われ(2004年12月22日現在)、予想を超える受験者が応募して一段落、というのが現在の正直な心境でもあります。今後、新たな教育機関で学んだ学生達がさらに大きく社会で羽ばたいてくれることを願って止みません。/校友会常務理事 沖 健次
「新教育研究棟設計に関して」
私は本大学高尾校舎の頃の卒業生であるが、偶然にも新教育研究棟の設計担当者となり、実施設計のスタート時から竣工まで、設計及び工事監理に従事した。既存棟を意識しなくともよい、というクライアントからのリクエストは、造形美の追及・物質感へのこだわりと細部での人へのやさしさであったように思え、常にそれを意識下において設計に取り組んだ。また新旧校舎群を繋ぐ主軸となるブリッジへの完成度の要求は、非常に高いものであった。コンクリート打放の素朴な質感を造形美に高めるために、形を作ると同時に不要な要素を省いていくスタディを繰り返し、ようやく納得していただける形にたどり着けたのではないかと思う。
母校に恥じない建物を建てるという使命は、容易ならぬプレッシャーであったが、理事長先生を始め大学の関係皆様からのお叱りと励ましに支えられ、完成出来た事には感謝の念が絶えない。/大林組東京本社設計本部 松永成雄(1991年デザイン学科II類卒業) |