私は現在、ドイツのカールスルーエ国立美術アカデミー彫刻科シュテファン・バルケンホール教授の元で彫刻を勉強しています。ミュンヘンやベルリンにあるような大型美術大学と違い、とても牧歌的でアットホームなアカデミーです。このアカデミーを選んだ理由は教授が一番の目的でしたが、それに加えアカデミーの雰囲気が大きく影響しました。自分の性格から考えて、クラスの中でさえ競争が激しくピリピリとした環境の大きな美術大学ではなく、快適な環境で仕事をし刺激ある環境は自分で築いていきたかったのです。

アカデミーの授業は定期的に開かれる講評会です。(教職専攻の学部に必要な必修授業を除く)教授から課題を出されるようなことは全くありませんので、講評会では学生が自発的に作品を発表し、作品のコンセプト・目的や趣旨をはじめ制作過程について説明しディスカッションへと繋がっていきます。ヨーロッパは基本的に宗教(ドイツでは主にキリスト教ですが)を中心として価値観が安定しており、揺れ動く“世間”という観点よりも宗教的な基盤のある個人の善悪で判断するために個人主義が徹底しているのだと思います。その基盤がディスカッションを濃密なものにしています。このような形で教授や学生達と意見交換をすることで自分を再確認すると同時に、日頃から本質を見極める力、幅広い見解を培っていく視点が育っていきます。
私は作家の意図を作品自体で表現するべきであると考えています。しかし作品でコンセプトを完全に造形表現を用いて作品で説明してしまうとその作家の世界で作品が完結し、見る人の感性で作品を見る余地を奪ってしまい作者の考えを強引に押しつけてしまうことになりかねません。芸術は言語よりもさらに抽象的で感覚的な曖昧で微妙な豊かな表現ができる伝達手段であると考えています。私はコンセプトを明確にしていくと共に、作品でそれをどこまで、またどのように表現するべきかその繊細な振れ幅やバランスについて講評会を通して学んでいます。

アカデミーでは豊かな創造性と共に強い自主性と持久性が常に求められます。これは入学試験の段階から授業形態、卒業試験方法に至るまで顕著に表れています。入学試験は学歴に問わず、提出される今までの過去の作品集を含めた入学志願書類や教授達によって行われる個人面接によって入学の合否が決められます。入学実技試験は約6時間内という制限はあるものの、テーマ・素材の規制は全くありません。入学試験で重要なのは、今までに培ってきた技術よりも、潜在的に持っている感性や感覚、それにこれから芸術面で発展する可能性がどれだけ秘められているか、ということが重視されます。
卒業前に行われる2回の試験では、学生が時代の異なる7人の芸術家について研究し、教授達の前で自分の批評を発表します。芸術家について調べるということはその時代の情勢、同世代の作家との接触や美術の流れとの関連などについて研究するということです。試験時に何故その作家を選んだのかが問われますので、芸術家を選ぶ時点で自分がどのような視点から興味を持ったのか、ということを明確にしなければならず試験はここからスタートしていると言ってもいいでしょう。それに加え、教授が選んだ任意の芸術家の作品についても話さなければなりません。ここで重要なのは必ずしもその作家・作品名が答えられるかという事ではなく、その作品の制作された時代がモチーフや作風から分析できるかということです。このように試験範囲は全くありませんので、作家研究の過程でどこに重点を置くのか、どこまで情報を集めるのかということが学生に全てが任されています。このようにアカデミーは授業でも試験でも学生が何を学ぶか自ら決断し、それを評価されていく仕組みになっています。
ドイツに来て既に4年の月日が経とうとしています。これまでに積み上げてきたアカデミーの教授、学生や工房指導者の方々との信頼関係の中で制作環境に恵まれ、充実した留学生活となっています。また展示活動をするのと伴って、カールスルーエ市で多くの芸術家が在住する西地区開発のためのプロジェクトや町の中心部の発展を目的とした複数の企業によって行われたArt Messe Karlsruhe の特別展に招待され、多くの芸術家と共に立ち上げ段階の運営方針から話し合いとても貴重な経験をしました。このような市や企業など経済の発展と結びついた芸術の支援だけではなく、美術に関心を寄せる一般の方々の層が厚いのもドイツの魅力です。美術愛好家の方々は作品を購入するだけではなく常にコンタクトを取って様々な手段で若い作家を支援してくれます。私はこのような方々と共に、将来の制作活動に必要な基盤をドイツで作り始めています。
留学をご支援して頂いた校友会、及び関係者の方々に深く感謝申し上げます。
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