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岡村幸宣 28期 美術学科比較造形専攻II類 卒業
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 埼玉県東松山市、比企丘陵を流れる都幾川のほとりに建つ原爆の図丸木美術館。水墨画家・丸木位里(1901〜1995)と油画家・丸木俊(1912〜2000)の共同制作による『原爆の図』の連作を常設展示するこの美術館に勤務して、6年の歳月が流れました。
 現在、全国的に美術館は「冬の時代」と言われています。都心部に巨大規模の美術館が続々と開館する一方で、地方の小美術館は運営面での苦労が絶えません。丸木美術館も例外ではなく、少人数のスタッフと共に、ボランティアの協力に支えられながら、日々の業務に奔走しています。
 在学中には比較造形専攻・造形振興コースの森口陽先生のゼミに学び、1996年秋に企画した「イタリア芸術の風」という展覧会に関わりました。大学付属の横山記念マンズー美術館が所蔵するジャコモ・マンズーの彫刻作品を核として、イタリア近現代具象彫刻の巨匠から、イタリア未来派の活動、ルーチョ・フォンタナの空間主義、フランチェスコ・クレメンテ、サンドロ・キア、エンツォ・クッキなどの新表現主義、さらにはジオ・ポンティらモダンデザインの流れを俯瞰する展覧会です。
 今回、久しぶりに当時のカタログを取り出してみたところ、ページのあいだに原稿用の作品紙焼き写真が10枚ほど挟まっていました。マリノ・マリーニのブロンズ彫刻『奇跡』や『ボクサー』、ペリクレ・ファッツィーニの木彫『予言者』などの写真を眺めていると、あの頃の記憶がよみがえります。
 夏休みも毎日のように研究室に通ってカタログ原稿を制作した日々。終電の時間まで会場に残って展示作業を続けたオープニング前日。 テープカットも挨拶もなしに、さっと乾杯してさっと終わろう、という森口先生の美意識を反映したオープニングパーティ。誰もいない深夜の展示室で、好きなだけ作品と向き合うことのできた静かな時間……。
 集荷のために、大原美術館、ふくやま美術館、豊田市美術館、町田市立国際版画美術館、光と緑の美術館、現代彫刻センターや日本オリベッティなどをまわったことも、懐かしく思い出します。右も左もわからぬ学生に貴重な作品を貸し出す学芸員たちの視線の厳しかったこと。森口先生には舞台裏で多大なご迷惑をおかけしたことと思いますが、その展覧会の刺激的な体験こそが、自身の将来を決める要因のひとつになったのだろうと、今では振りかえっています。
 展覧会の準備の合間に行った学芸員資格取得のための博物館実習で、「大きな美術館より小さな美術館の実状を知りたい」と、泊まり込みで世話になったのが、丸木美術館との出会いになりました。前年に位里さんは他界していましたが、まだ俊さんは美術館周辺を散歩する姿も見られ、20世紀の歴史に大きな足跡を刻んだ画家と言葉を交わす貴重な機会も得られました。
 実習とはいえ、最初の仕事が美術館裏の竹やぶの「竹の子掘り」であったように、この美術館の業務は日常の生活と分かち難く結びついている面も多々見られます。今の時代に失われつつある濃密な人間関係の中で共に仕事をしていくうちに、美術館を中心とするコミュニティの在り方をあらためて考えさせられ、また、そもそも美術館とは何か、という根源的な問いを突きつけられたような思いがしました。
 気がつけば「学芸員」という立場で美術館に関わる日々。
 わずかな予算に頭を悩ませながらも、作品の保存管理や企画展の準備、丸木夫妻の画業の調査研究を中心に、講演、ギャラリートーク、新聞・雑誌原稿の執筆、マスメディアへの広報などを行っています。
『原爆の図』は、広島で原爆の惨状を目にした丸木夫妻が戦後に描きはじめた連作で、1950年発表の第1部『幽霊』から1982年の第15部『長崎』まで、30年以上にわたって制作されました。画面に描き込まれた被爆者の肉体の痛みを通して原爆の恐ろしさを伝える一方、位里の実験的な水墨技法と俊の繊細な人物描写の融合による芸術性も高く評価されている作品です。
 これまでは“反戦平和の象徴”との一面ばかりが強調されてきた印象もありますが、近年では絵画そのものを美術史的な視点から再評価する研究も進んでいます。残された資料を地道に調査し、作品を多角的に分析することで今日的な意味を読み解く作業は、時代を超えて多くの人に受容してもらうためにも欠かすことができません。
 大きな美術館でなければできない仕事があるように、小さな美術館には小さな美術館でなければできない仕事があります。作家の暮らした息吹が感じられる場所で、大切な作品を展示することの重要性。作品を見るために遠くから足を運んでくれる人たちの姿が、私たちの日常を支えてくれます。
 どんなに時代が変化しようとも、芸術の出発点は“人間”であり、着地点もまた“人間”であるということを、あらためて実感する毎日です。


<岡村幸宣>

1997年 東京造形大学造形学部美術学科比較造形専攻卒業
1998年 同研究生課程修了
2001年 原爆の図丸木美術館学芸員として勤務

 





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