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180年の歴史がある「真葛焼」の窯元であり、2002年に6代目宮川香齋を襲名された宮川和男さんに日本橋三越の個展会場にてお話をうかがいました。
ー東京造形大学も2008年3月に39期生が卒業します。宮川さんは1期生でいらっしゃいますが、当時の大学の様子をお聞かせください。またどのような学生でいらっしゃいましたか。
劣等生でしたよ(笑)国立に住んでいたので高尾の校舎へむかうより中央線で反対方面に乗り新宿へむかったほうが多かったかもしれません(笑)私の大学時代は1960年代でベトナム戦争も続いていましたし、大学でアカデミックな教育をうけるというより、学生運動に参加したり仲間で議論したりする学生も少なくない時代でした。私も佐藤忠良先生や岩野勇三先生には目をつけられていたかもしれません。
ーー大学では彫刻専攻でいらっしゃいますが、陶芸の世界へ進まれのはなぜですか。
学生時代は現代美術、現代彫刻に興味があり作品制作をしていました。しかし続けていくうちに自身の主張だけをぶつける観念的な作品制作を続けるより人の生活を幸せにするものづくりに惹かれるようになりました。それで工芸の世界に身をおく決心をしたのです。東京造形大学卒業後は各地で作陶の修行をしました。そんななか縁があり宮川家の養子として五代目宮川香齋のもとで30年間修行しました。
ーー現在は主に茶道具をつくられていますが、その魅力はなんでしょうか。
「衣・食・住」の日本人の暮らし中で最も洗練された形が茶の湯の中に残っていると私は常々思っております。究極の用の美といえるのではないでしょうか。
ーーそして2002年に六代目宮川香齋を襲名されましたが宮川家(真葛焼)についておきかせ下さい。
宮川家は慶長年間に近江国坂田郡宮川村より京に出て知恩院前で陶器全般を商っておりました。時代も下り江戸時代中期宮川小兵衛政一の代の後に、治兵衛の家筋と長兵衛の家筋に分かれ、長兵衛の家筋に江戸時代後期宮川長造が出まして色絵陶器で名声を博しました。長造の仕事場が祇園八坂神社の東側円山公園付近の真葛ヶ原にありましたから窯名を真葛云う様になりました。長造の四男虎之介(後の横浜真葛初代宮川香山)が薩摩藩家老小松帯刀の後援により明治三年横浜で開窯しております。横浜真葛焼は太平洋戦争末期横浜空襲により約70年間続いた窯は終焉いたしました。京都に残りました私どもの家筋(治兵衛)が細々と家業を営み戦後世の中が安定することによりお茶も盛んになり家業が発展してまいりました。
ーー最後に1期生の宮川さんから後輩達に伝えたいメッセージをお願いします。
私は約800年前にはじまった茶の湯の世界を支えるため、約35年間にわたり京焼きの世界におります。長い歴史を支えるためには技術の修得なしにものはつくれません。これは工芸だけにいえることではありません。とくに学生時代は、是非技術を学んでほしいです。自己表現するためには技術が不可欠です。ものづくりの土台になりますから学生時代に技を磨くことに目をむけてもらいたいです。大学で得たことは、そこから広がる世界で戦える武器になりますから。
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<宮川香齋>
1944年 京都に生まれる
1970年 東京造形大学美術学部彫刻専攻卒業
1976年 京都の真葛窯に入り、以後五代目宮川香齋のもとで家業に従事する
2002年 一月 六代目宮川香齋を襲名する
同 年 大徳寺僧堂龍翔寺嶺雲室高田明浦老師より真葛の印賜る 作品に使用する





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