ZOKE.NET HOME PAGE
校友会員ウェブギャラリー
 
村瀬治(三代目 村瀬治兵衛)13期 美術学科彫刻専攻
■Gallery TOP

■Friends Gallery

■留学生 Report


 

素地から上塗りまで〜村瀬治兵衛の漆器

一般的に漆器は素地をつくる木地師と漆を塗る塗師と分業になっています。
漆は埃を嫌うためうちの工房のように木材選び、素地づくり、漆塗りまでを一貫しておこなうことは大変稀なことです。
江戸時代から続く木地師である初代村瀬治兵衛(祖父)は、「透かすと向こう側の光が見える」といわれたほどの薄手の挽物を得意とし、その腕を北大路魯山人にも認められ魯山人の素地をつくっていましたが、独学で漆を学び、やがて自身で上塗りまで全工程を行うようになりました。
二代目村瀬治兵衛(父)は根来塗(※1)や独楽塗(※2)を得意とし現在の治兵衛作品のスタイルを確立し2001年に私が三代目村瀬治兵衛(木地師としては7代目)を襲名いたしました。

美大進学で得たこと

10代から木工ろくろをあつかい家業の手伝いをしていた中「職人として人に使われるだけではなく作家になること」を父からも祖父からも勧められ感性を高める為に美大をめざしていました。ロダンやジャコメッティ多くの彫刻をみてきた中で佐藤忠良先生の作品に魅かれ東京造形大学彫刻科へ進学。ここで学んだことは、私の強みとなっています。塑像ができないと木でも石でいいものはつくれないように、魅力的なフォルムの素地を創造、造りだせなければ魅力的な漆器はうまれません。文字どおり造形力を高めた4年間でした

茶の湯?60年続く茶会「二十日会」

現在はお盆やお皿など日常の漆器をつくるほか茶道具を多くつくっております。きっかけは引退した初代が楽茶椀をつくりそれらが人目にふれ裏千家表千家をはじめ多くの人達に愛顧されたことからです
昨年のSO×ZO展では内田繁さんの茶室に私の道具をしつらえました。
鉈で荒取りした形をそのまま生かした茶器や根来塗りの茶器、新作の披露も兼ねて毎月自宅の茶室で茶会「二十日会」をひらいています。祖父の代から続くこの月釜を私が引き継いだ当初は続けることに必死でしたが10年たってようやく楽しめてきたところです。その昔、竹薮から一本の竹を選び花器にして客人をもてなした千利休。このように利休がはじめて今ではスタンダードとなった多くの茶道の習慣も当時はショッキングで現代美術そのものでした。私の茶会でも、時にはハンスコパーの陶器に花を、彫刻家青野正さん(11期彫刻専攻)の作品を風炉に、スペインのマヨルカ焼きを水指にするなど新たな美探り、茶の湯の可能性を模索しております。また若い世代にもお茶を気軽に楽しんでもらえるように嘉門工藝という名で国内外の作家にオーダーし茶道具をつくることもしております


日常づかいの漆器〜受け継がれる漆器

漆器は重ねることもできない傷つきやすい器と敬遠されることがありますが、摺漆で仕上げたものなど手法によっては毎日使っても100年単位で長持ちする道具でもあります。ウレタンの器に比べれば値は張りますが親子三代にわたって十分つかえますので考え方によってはエコロジーかもしれませんね。
ちなみに私の家では朝食のパンも漆盆にのせます。保温性がよく冷め難いのでトーストをいつまでもあたたかくいただけます
ただ伝統工芸の世界は、材料が高価、技術の習得に歳月を要するなど難易度が高いのも事実ですが、これからも培った伝統技術に新しい要素を加えながら自身の造形美を探りたいと考えています


(※)根来塗 黒漆の下塗の上に朱漆で上塗をしたもの

(※)独楽塗 ろくろのひき目に沿って赤・黄・黒などの漆で同心円状に色分けして塗り、文様としたもの


村瀬治兵衛 略歴

昭和32年 東京に生まれる
昭和50年 東京都立芸術高等学校卒業
昭和55年 東京造形大学美術学科彫刻専攻卒業
      同年より代々にわたる家業である木地師塗師に従事す
      茶道歴35年
平成13年 3代目治兵衛を襲名、木地師として7代目を継ぐ
      日本橋三越本店美術部にて襲名展開催
平成21年 妙喜庵・待庵の炉縁製作
      東京国立近代美術館工芸館「現代工芸への視点 茶事をめぐって」展出品

日本橋三越本店、福岡三越、伊勢丹本店、銀座松屋、ギャラリー堂島、など各地にて個展開催


<村瀬治(三代目 村瀬治兵衛)>







*画像をクリックすると
 詳細ウインドが開きます。


Copyright©2005-2008,ZOKEI FRIENDS OFFICE. All rights reserved.