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犬童一心 15期 デザイン学科映像専攻
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 今回、校友会会長の任を受けました犬童一心です。1984年第15期の卒業生。映像を専攻していました。島崎前会長の誠意と熱意の会長実績に及ぶ自信はありませんが頑張りたいと思います。
 卒業生が集まり豊かな時間を持ち帰ることが出来る機会。学生が卒業生から向かうべき仕事や人生についていっぱいの情報が得られるような機会を多く作って行けたらと思います。
 私は、現在CMディレクター、映画監督等、映像作品の演出をしています。大学時代、校舎はまだ高尾にあり、どこか都会から離れ、そののんびりとした日々は情熱とはほど遠いものでしたが、友人達に協力してもらい自主制作で映画作品を作り、上映等は積極的に行っていました。まさにぴあ世代。情報誌片手に名画座巡りの旅をしながら、未来への展望等特になく、信じた、愛した『映画』に取り憑かれたうたかたの日々を送っていました。
 でも、のんびりとした毎日の中でも『映画』に関してだけはきっと深くどこかで強い情熱をかかえていたと思います。
 今振り返ると、大学時代に重要だったのは同じように、いや自分以上に取り憑かれ情熱を抱えた友人や先輩と出会えたことでした。その、常識的に言えばそこまで『映画』のことだけで生きれるのかという変わった人たちには多くの刺激を受けたし、どこか、自分もそれでいいのだという安心を貰え『映画』まみれになることができました。
 当時『自分探し』なんて言葉が流行っていましたが、私は、自分を探すより『映画』を探すことの方にはっきり価値を見いだしていました。
 今の自分も同じかもしれませんが、きっと原動力は『謎』というものだったと思います。そのものが持っている『謎』、それはいったいどういうものなのかという『謎』を解き明かしたい欲望が全てを突き動かし、そのことだけはいくら考えても疲れ知らずになれたのです。でも、まあ、結局それから30年近くたってもその『謎』は解き明かせずにいるわけですが―――。
 プロとしてCMディレクターや映画監督の仕事を続けながら思っていたのは『技術』と『自由』の関係でした。『技術』というものを出来るだけ高く身につけることで、その場で『自由』に振る舞えるようになりたかったのです。どの作品にも瞬間瞬間のいくつもの可能性がある。そのときに身体がそれを判断することで生まれる輝きが欲しい。そして、高い技術を持ちながらもそれでも迷わざるをえない問題のみに集中して作品を作れるようになりたかったのです。少しはそれを成せたような気もします。が、それによって『謎』に近づいたような気がしても、近づくと遠ざかるのが『謎』というものなのでしょうか。
 今でもその頃に知り合った変わり者の取り憑かれた人たちはそれぞれの場所で優れた仕事をしています。いまだに多くの刺激を受けています。出会えたことに本当に感謝しています。
 そして、思うのははたして『謎』に迫りたい欲望を持ちえずにこの長い年月をひとつのことに本気で取り組み続けられたのかということです。かつて出会った者達も相変わらず同じように取り憑かれています。
 新入生の皆さんに僕が言えるのはそのことでしょうか。自分の向かうものが、いったいどういうものなのか?という真摯な問いをあなたはずっと持ち続けられますか?
『謎』の存在に気付き、それを解き明かしたい欲望の炎を心の片隅に燃やし続けられますか?
 春です。始まりの季節です。
 頑張りましょう。


<犬童一心>

映画監督/CMディレクター

高校時代より自主映画の監督・製作をスタートし、大学卒業後はCM演出家としてTV-CMの企画・演出を手掛け、数々の広告賞を受賞。その後、長編映画デビュー作となる『二人が喋ってる。』(97)が、映画監督協会新人賞を受賞。1998年に市川準監督の『大阪物語』の脚本執筆を手掛け、本格的に映画界へ進出。1999年に『金髪の草原』で監督デビュー。2003年には、『ジョゼと虎と魚たち』にて第54回芸術選奨文部科学大臣新人賞。「メゾン・ド・ヒミコ」で第56回文部科学大臣賞を受賞。以後、『タッチ』(05)、『黄色い涙』(07)、『眉山 びざん』(07)、『グーグーだって猫である』(08)等、話題作を発表し、『ゼロの焦点』(09)で第33回日本アカデミー賞優秀作品賞・監督賞・脚本賞を受賞、『のぼうの城』(12)で第36回日本アカデミー賞優秀作品賞・監督賞を受賞している。


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